ウマ娘列伝90世代

ウマ娘プリティーダービー(ウマ娘アプリ)の登場キャラクターであるメジロマックイーンやトウカイテイオーたちの史実と活躍についてまとめています。ウマ娘たちの元ネタや史実の活躍をサクッと確認したい方は参考にご覧ください。

ウマ娘列伝 目次

ウマ娘列伝 -各世代ごとの活躍-
1977世代「マルゼンスキーの軌跡」 1983~84世代「救世主と皇帝」
1987~88世代「芦毛の頂上決戦」 1990~93世代「世紀の対決と奇跡」
1994~95世代「日本を震わす衝撃」 1996~97世代「女傑の時代」
1998世代「最強世代」 1999~00世代「覇王と勇者」
ウマ娘の年代表

ウマ娘列伝 1990~93世代の史実

主要ウマ娘
8f2b00b0a6cac5464a3d62e583f7c13d ウマ娘_アイネスフウジン 92289a6a963e47900d5b1b9643c02f20 b5108ff463255c5f3a5681abfc18293b 6c598463ee5c1566023fbf03c4e579cb

第二次競馬ブームのはじまり

昭和最後の年に繰り広げられたタマモクロスとオグリキャップの名勝負が呼び水となり、平成になると競馬に付き纏っていたダーティなイメージが払拭され、スポーツとして多くの人に楽しまれるようになりました。

第二次競馬ブームのはじまり。

オグリキャップという稀代のアイドルホースが引き金となって巻き起こった競馬界隆盛の時代ですが、このブームはハイセイコーが引き起こした第一次競馬ブームや後にディープインパクトが起こす第三次競馬ブームとは異なり、1頭のヒーローが引き起こしたものではないことが何よりの魅力でした。

芦毛の最強馬「タマモクロス」、平成三強「スーパークリーク」「イナリワン」、怪物に挑み続けた無敵の挑戦者「ヤエノムテキ」など、多くの名馬たちによって繰り広げられた群像劇に老若男女問わずに熱狂し惹きつけられたのです。

1990年の有馬記念では、その群像劇のフィナーレを飾るようにオグリキャップのラストランが開幕。同年のジャパンカップで大敗してしまったことで当時は限界説が流れていましたが、そんな噂を物ともせずに共に時代を築いたライバルたちを打ち破って圧巻の勝利。「奇跡の復活」と評されながらターフを去りました。

昭和最後のヒーローの退場に多くのファンたちが惜しみの声を上げ、しかし次の時代が幕を開けても、て競馬界は衰えることなくさらに隆盛の時代を迎えることとなりました。

奇跡のダービー馬

メジロライアンメジロパーマーなど良血のサラブレッドが次々とデビューしていく一方で、一部のファンたちの間では死地を彷徨いながらも辛うじて一命を取り留めたテスコボーイの奇跡の産駒に注目が集まっていました。

アイネスフウジン

初動こそ戦績が振るわなかったものの、未勝利戦での勝利を切っ掛けに実力を遺憾なく発揮するようになり、朝日3歳S(現:朝日杯FS)で、唯一万全の状態で挑むことができたマルゼンスキーの「不滅」のレコードタイムに並んだことで、一躍世代のヒーローとなっていました。

しかし迎えた1990年日本ダービーでは、良血と名騎手を兼ね備えたメジロライアンとハクタイセイに次ぐ3番人気。「メジロ悲願のダービー制覇」が期待されていたこともあって、この日のアイネスフウジンは主役として見られていませんでした。

レースではアイネスフウジンが逃げを打って先頭に立ち、ハクタイセイはそれに追走。メジロライアンは10番手に位置して中団から差し切る態勢を整えており、ファンたちはどこで仕掛けるのかボルテージを高めながら見守っていました。

が、会場の期待に反してレースを動かしたのはアイネスフウジン。向こう正面で後続を引き離し、後続に4馬身ほどの差を広げる単騎逃げを打ちました。当然ながらハクタイセイを含む後続もペースを上げて1馬身差まで詰めましたが、最終コーナーでスパートを掛けたアイネスフウジンはさらに加速して再び独走状態となりました。

残り200mの時点でメジロライアンが猛然と追い込みを掛けてくるものの、既に差し切れないほどの距離を広げていたアイネスフウジンは1馬身1/4差で勝利。タイムも2分25秒3というレースレコードでの優勝となりました。

アイネスフウジンが結実させた競馬史の転換期

良血と名騎手を兼ね備え、多くのファンが勝利を確信していた強豪たちを打倒。さらには入線後に駈歩で躓くほどの全身全霊を賭けて15年ぶりとなる逃げ切り勝利を見せたアイネスフウジンの凱旋は、大きな衝撃をもたらしました。

その瞬間、スタンドの観衆から「ナカノ! ナカノ!」という合唱が湧き上がりました。これまでの競馬史では、優勝者を称えるために観客がその名前を唱和したことはなく、多くは負けた騎手や競走馬に対する罵倒や文句が主でした。

中野騎手とアイネスフウジンに贈られた勝利への称賛は史上前例を見ないものであり、この出来事はそれまでのギャンブル性重視の楽しみ方からスポーツ観戦への楽しみ方に移り変わりつつあることの象徴とされ、ファンや日本競馬そのものの在り方が変わった競馬史におけるエポックとされました。

特にこの変遷は古くから競馬に携わってきた層からの反響が大きく、「自分たちの時代は終わったと感じた。ぼくらの知っている競馬とは違った時代になったんだと、強く感じた」「涙が出てきた。競馬が本当に一般の人に認められるスポーツになった、と感激した」と語られ、海外でも「日本の競馬が大変なことになっているよ。まさに歴史的な出来事だった」と評されるほどでした。

その後、この「コール」は応援のひとつとして定着するようになり、1990年代には大競争の後に決まって競走馬や騎手の名前が唱和されるようになりました。

そんな日本ダービーで、文字通り全身全霊を尽くした走りを見せたアイネスフウジンは脚部不安を考慮して引退することとなってしまいましたが、現代競馬の雰囲気を決定付ける偉業は記憶と記録に強く焼き付いています。

遅咲きの名優「メジロマックイーン」

日本競馬が「アイネス旋風」で盛り上がるなか、その裏で着々と地力を磨いていた1頭のサラブレッドが徐々に注目されるようになりました。

新時代の芦毛馬、メジロマックイーン

タマモクロスが怒涛の活躍を見せた1987年に誕生したメジロマックイーンですが、幼駒時代は頻繁に高熱や怪我を見せる病弱体質であり、調教を積んでもなかなか体重を絞れない大型馬ということもあって、当初は同期のメジロライアンやメジロパーマーに次ぐ3番手の評価でした。

遅れに遅れて4歳2月に臨んだデビュー戦では、2着に1馬身強、3着には10馬身以上の大差をつけての勝利。強い走りを見せたことで日本ダービーでの活躍を期待されましたが、骨膜炎が完治していなかったことが影響して目標を菊花賞へと切り替え、皐月賞や日本ダービーへの出走は断念せざるを得ませんでした。

嵐山Sでは2着となってしまったことで獲得賞金額が足りず菊花賞への出走が危ぶまれましたが、獲得賞金額上位の競走馬が出走を回避したことで辛うじて出走枠を確保。メジロマックイーンは同期のメジロライアンと対決することとなりました。

時代が変わり、競馬が変わり、観客の質さえも変わって迎えることとなった菊花賞。そこでようやく、日本は「メジロマックイーン」を見つけました。

オッズでは、クラシック戦線で活躍を見せていたメジロライアンの1番人気から大きく離され、4番人気となったメジロマックイーン。レースではメジロ対決よりもメジロライアンホワイトストーンとの勝敗に目が集まる状況でした。

しかしそんな雰囲気を覆すように、中団で脚を溜めていたメジロマックイーンは2周目から徐々に進出していき、向こう正面では先頭集団の好位置を確保。最終コーナーでさらに脚を伸ばして先頭を行くホワイトストーンに競り合いを仕掛けました。

最終直線で先頭に躍り出ると、後方から抜群の末脚を発揮するメジロライアンとまくられたホワイトストーンが追い上げを仕掛けてきましたが、脚色を衰えさせることなく1馬身1/4差で勝利。重バ場という悪環境でありながら3分6秒2という菊花賞史上3位のタイムを叩き出し、ステイヤーとしての覚醒を果たしました。

世代交代と父子三代制覇

1990年の末に開催された有馬記念ではオグリキャップのラストランでさらに競馬界が盛り上がりを見せつつ、時代を受け継ぐようにして芦毛の怪物「オグリキャップ」から芦毛の名優「メジロマックイーン」へと、名騎手「武豊」を鞍上に迎えました。

休養明けの阪神大賞典では、掛かり気味になりつつも不安なく勝利。世代の三強として数えられるようになったメジロマックイーンは、続く天皇賞(春)で1番人気に推されながら三強対決に挑むこととなりました。

迎えたレースでは、メジロマックイーンは菊花賞の焼き直しのように2周目から脚を伸ばし、最終コーナーで先頭集団の好位置へ。直線に入ると疲労を感じさせないほどの末脚でみるみると差を広げていき、2馬身半差をつける大楽勝で勝利。メジロアサマ、メジロティターンの功績を継ぐ父子三代制覇という途轍もない偉業を成し遂げました。

あまりの強さに、世代三強ではなくメジロマックイーン「一強」の時代になるのではないかとファンたちが漏らすようになったのも、また無理のないことでしょう。

ですが、そんな期待とは裏腹にメジロマックイーンの下の世代からもう1頭のヒーローがこの世代の舞台へと上がることになりました。

皇帝を継ぐ天才馬、トウカイテイオーです。

「最強不敗」の天才馬

前人未到の偉業を成し遂げた皇帝の息子は、幼駒時代でこそ馬体が華奢だったために評価は高くありませんでしたが、下地作りの運動が始まると柔軟性と勝負根性を見せ、将来のダービー馬として期待されるようになりました。

その期待に応え、デビューから快勝。4戦4勝の無敗のまま皐月賞へと挑み、大外枠での出走となりながらも圧巻の強さを発揮してシンボリルドルフと同じ無敗での皐月賞制覇を成し遂げました。

続く日本ダービーでも、当然のように1番人気となったトウカイテイオー。皐月賞と同じく大外枠での出走となりましたが、軽やかなステップを活かして好位置を確保。最終コーナーで徐々に先頭へと進出し始め、直線に入ったところで先頭へと抜け出しました。

19頭のライバルたちが懸命に追い上げに掛かりましたが、トウカイテイオーは独特なステップでさらに脚を伸ばしていき勝利。2着に3馬身差をつける快勝を成し遂げ、会場から「ヤスダコール」の祝福を受けながら無敗の二冠目を獲得しました。

父であるシンボリルドルフに次いで「不敗の三冠馬」になるのかとファンたちの間では期待が膨らんでいきましたが、しかし不運なことに、日本ダービー後にトウカイテイオーの骨折が判明。全治6ヶ月の診断が下されたことで菊花賞への出走は叶わないことになってしまいました。

この事は競馬界だけでなく国営放送のニュースでも報じられ、多くの人たちに惜しまれたことからメジロマックイーンに並ぶ愛され馬として知られるようになりました。

世紀の対決

そして1992年。トウカイテイオーの休養明けの復帰戦となった産経大阪杯では、鞍上にシンボリルドルフの主戦騎手であった岡部騎手を迎え、以前と遜色劣らない快勝を達成。トウカイテイオーは無敗のまま天皇賞(春)への出走を宣言し、メジロマックイーンと激突することとなりました。

最強ステイヤーとして連覇に挑むメジロマックイーンと不敗神話の継続に挑むトウカイテイオー。2頭が雌雄を決するこのレースは「世紀の対決」として、競馬史に残るほどの大きな注目を集め、当日は競馬場が入場規制でファンが溢れ、テレビやラジオの前で勝負の行方を見守る人ばかりでした。

オッズは、3000mへの出走経験がないにも関わらずトウカイテイオーがメジロマックイーンを抑えての1番人気。互いに不調もなく、戦いの火蓋が切って落とされました。

レースでは、スムーズなスタートをしてみせた2頭は同位置の好位を確保。1周目は闘争心を高めながらも競り合いをすることなく、冷静に脚を溜めていました。大きな変化が起きることなく2周目に突入すると、トウカイテイオーとメジロマックイーンは徐々に進出し、向こう正面で仕掛けのタイミングを伺える位置へと押しあがりました。

どちらが先に仕掛けるのか固唾を呑んでファンが見守るなか、ほぼ同時に2頭がスパートを開始。最終コーナー手前で脚を伸ばすと先頭へと抜け出し、直線で真っ向勝負をすることとなりました。

後続を突き放しに掛かるメジロマックイーン。懸命に追い縋るトウカイテイオー。しかしその差は詰まることなく、距離適性が響いたのか徐々に失速していくトウカイテイオーに反し、メジロマックイーンは疲れを見せることなく末脚を遺憾なく発揮し、2着とは2馬身半差。3着とは7馬身半差もつけて勝利しました。

最強ステイヤーの格を見せつけたメジロマックイーンは意気揚々とウイニングランを行い、トウカイテイオーの敗北に嘆いていたファンも彼らに称賛の声と拍手を贈りました。

ガラスの脚と鋼の脚

「世紀の対決」を制した最強馬のメジロマックイーンは、しかしこの激戦が影響してか「左前脚部第一指節種子骨骨折」という予後不良になりかねない骨折を患い、1年を掛けての休養に入ることとなりました。

またメジロマックイーンと同じくして、トウカイテイオーにも骨折が判明。診断によって今春は全休せざるを得なくなり、奇しくも終生のライバルと揃って一時的に競馬界から離れることになりました。

日本を揺るがしたスターホースたちの不在。しかし、新たな世代の活躍によって競馬界が静まることはありませんでした。

サイボーグ「ミホノブルボン」。

幼駒時代は大柄でもなく大人しい気性で「可愛らしい」と評されていましたが、スパルタ調教で有名な戸山厩舎で過酷な坂路調教を悠々とこなしていき、デビュー前には圧を感じさせるほどの筋肉質な馬体となりました。その後も調教はハードとなっていき、坂路1日4本という前代未聞の調教メニューもこなすほどでした。

デビュー戦でコースレコードを出し、朝日杯3歳Sでも快勝。この頃のミホノブルボンは距離限界2000mのスプリンターとしての才能を見られていましたが、調教師にスタミナを鍛えられたことによってその枠をあっさりと打ち破り、クラシック戦線の要である皐月賞と日本ダービーで勝利。史上5頭目になる「無敗の二冠馬」になりました。

トウカイテイオーの無念を継ぐようにして現れたミホノブルボンは、菊花賞トライアルの京都新聞杯でも勝利。怪我をすることなく無事に菊花賞へと駒を進めたことで、より一層ファンからの三冠達成の期待が強まりました。

黒い刺客「ライスシャワー」の偉業

大事なく迎えた菊花賞。しかしそこで、ライスシャワーが立ちはだかりました。

ミホノブルボンと共に出走していたスプリングSと皐月賞では大敗。日本ダービーと京都新聞杯では2着に迫る惜敗という戦績を残していましたが、ライスシャワーは2番人気であるものの票数は1番人気に大きく離され、ファンの期待のほとんどがミホノブルボンに集まっていました。

特にこの時期はオグリキャップメジロマックイーントウカイテイオーなどの名馬たちが繰り広げた名勝負によって、偉業の達成やドラマチックな展開をレース結果以上に重視する雰囲気が作られており、ミホノブルボンを主人公。それ以外を脇役として捉えてしまう傾向にありました。

逃げ馬としてのライバルであるキョウエイボーガンの騎手さえもミホノブルボンの三冠達成を願う異様な空気の中、レースでは自爆覚悟の逃げを打つキョウエイボーガンにミホノブルボンが2番手で追走。類稀にみる長距離でのハイペース戦が繰り広げられました。

しかしその過酷な状況でも、ライスシャワーは冷静にミホノブルボンをマークしていました。

3コーナーでキョウエイボーガンを交わして先頭へと抜け出していくのに合わせて集団から進出していき、最終直線で勝負位置を確保。ミホノブルボンと内から上がってきたマチカネタンホイザの3頭で苛烈な競り合いを繰り広げながら、最後まで鋭い末脚を伸ばしたことで1馬身1/4差で勝利しました。

ライスシャワーは初となる重賞制覇であり、コースレコードの達成。しかし会場は菊花賞勝利馬を称賛する声はなく、むしろミホノブルボンを負かしたことに対する罵倒が浴びせられるという、第二次競馬ブームにおける流れに真っ向から逆らう様相でした。

天才とバカの「劇」戦

それと同時期に、長い休養からトウカイテイオーが復活。

復帰戦となった天皇賞(秋)では「バカ逃げコンビ」ことメジロパーマーダイタクヘリオスが作り出した1000m/57.5秒という狂気じみたハイペースに乱され、7着入線と自爆したバカコンビともども惨敗するものの、続くジャパンカップでは日本総大将としての強さを見せて勝利。シンボリルドルフと共に親子2代での国際G1制覇を成し遂げました。

勢いに乗るようにして有馬記念への出走登録を行ったトウカイテイオーですが、天皇賞(秋)を彷彿とさせるように再びバカ逃げコンビが参戦。ダイタクヘリオスは7番人気メジロパーマーは15番人気(ブービー)でありながらもトウカイテイオーに対して強烈なプレッシャーを与えていました。

ファンたちの期待がトウカイテイオーに寄せられる中、レースではメジロパーマーとダイタクヘリオスが共に大逃げを開始。後続を大きく引き離すも、「また自滅するのか」とファンたちは苦笑を浮かべるだけでした。

しかし後半になっても脚色は衰えることなく、11秒台のラップを連発。ダイタクヘリオスは直線でスタミナが尽きて順位を落とし始めてしまいましたが、メジロパーマーは最後まで根性の粘りを見せ、誰もの予想を裏切って見事に勝利しました。このブービー人気での勝利は衝撃的であり、今でもなお「馬鹿コンビによる馬鹿コンビのための有馬記念」と言われる伝説的レースになっています。

またこのレースを切っ掛けに、トウカイテイオーは左中臀筋の疲労と骨折が判明。再び長い休養に入り舞台から姿を消すこととなりました。

白と黒の対決

そしてトウカイテイオーと入れ違うようにして、1993年4月の産経大阪杯でメジロマックイーンが復活。復帰戦でコースレコードを叩き出す快勝を見せて前人未到となる天皇賞(春)の三連覇に挑むこととなりました。

立ちはだかったのは、メジロパーマーマチカネタンホイザ。そしてライスシャワー

3000m以上の重賞でレコード勝ちの経験のある4頭が共に前走勝ちという絶好のコンディションで迎えた天皇賞は、前日まで降っていた雨も止み、快晴の良バ場で行われました。

そして運命のレースでは、メジロパーマーとメジロマックイーンが揃って好スタート。いつものように逃げを打つメジロパーマーに対してメジロマックイーンは冷静に好位置で追走し、ライスシャワーは中団で落ち着いていました。

2周目の向こう正面に入るとライスシャワーは徐々に先頭へと進出。先頭を行くメジロパーマーは史上に残るようなハイペースで既に5馬身差をつけていましたが、3コーナー手前でメジロマックイーンがスパートを開始。それに張り付くようにしてライスシャワーも追走し、4コーナーで2頭がメジロパーマーを捉えた時点で、勝敗はこのG1馬3頭に絞られました。

最終直線で最初に先頭へと抜け出したのは、メジロマックイーン。

貫禄を見せる末脚で大観衆の目には史上初の天皇賞3連覇への期待が映りましたが、その外からメジロマックイーンを越える脚色で加速していたライスシャワーは鼻先を僅かに前へ。3頭は一瞬だけ均衡を見せましたが、するりとライスシャワーが抜け出すと差を広げていき、2馬身半差をつけるコースレコードで勝利しました。

しかし、天皇賞3連覇という偉業の達成を望んでいたファンたちの期待とは異なる展開に、そしてライスシャワーの強さに会場は沈黙し、祝福や称賛の声に包まれることはありませんでした

ライスシャワーが積み上げた戦績は間違いなく称賛されるものです。

ですが、オグリキャップのようにシンデレラストーリーを持って偉業や名勝負を成して築いたブームの影響か、ミホノブルボンやメジロマックイーンなどのアイドルホースを必要以上に重要視し、そのライバルを「悪役」「脇役」としてしまうのは第2次競馬ブームの数少ない悪点でしょう。

名優の引退と天才の復帰

天皇賞3連覇の夢に破れてしまったメジロマックイーンは、その敗北をバネにするようにして宝塚記念を快勝。京都大賞典では今もなお破られない2分22秒7というコースレコードを叩き出し、最強馬の実力を見せつけました。

トウカイテイオーが復調していることもあり、世紀の名馬たちの再戦や天皇賞(秋)での活躍をファンたちは期待し――しかし、天皇賞(秋)に向けた調教で左前脚部繋靱帯炎を発症していることが判明。超一流馬では珍しく長い現役を築いたメジロマックイーンは、トウカイテイオーと再戦することなく静かに引退しました。

そして1993年有馬記念。ついにトウカイテイオーが復帰しました。

前回から364日ぶりとなるレース。絶大な人気を誇っていたトウカイテイオーですが、度重なる休養と長期間のブランクにより全盛期としての力はないと見られ、オッズも1993世代の三強であるビワハヤヒデが1番人気、ウイニングチケットが3番人気。トウカイテイオーは4番人気となっていました。

その他にもライスシャワーメジロパーマーナイスネイチャマチカネタンホイザなど強敵が揃っており、今回の有馬記念がトウカイテイオーの実質的な引退レースになると囁かれるほどでした。

「最強不屈」のトウカイテイオー

そして戦いの火蓋が切って落とされたレースでは、この年のG1戦線を盛り上げた馬たちが揃って好スタート。いつものようにメジロパーマーが先頭に立ち、トウカイテイオーは2番手に上がったもののすぐに好位に控えました。

メジロパーマーは逃げを打つものの昨年ほど引き離すことはできず、2番手集団にはビワハヤヒデが位置。それを見るようにしてライスシャワーが続き、中団にはウイニングチケットが差し切るために脚を溜め込んでいました。

レースが動いたのは第3コーナー。ビワハヤヒデがメジロパーマーを捕まえるためにスパートを掛けると、それに応じるようにウイニングチケットとトウカイテイオーも進出して一気に激化。遅れてライスシャワーも先頭集団に参戦して第4コーナーを迎えました。

ここで完全に抜け出したのはビワハヤヒデ。ウイニングチケットは中団を抜け出し切れず、ライスシャワーやナイスネイチャも追走が間に合わないまま独走態勢へ――と思われた瞬間、1頭だけそれを上回る勢いで追い縋る馬がいました。

「トウカイテイオーが来た! トウカイテイオーが来た!? ビワハヤヒデとトウカイテイオー! ダービー馬の意地を見せるか!」

アナウンサーの驚愕に震える言葉を受けながらも2頭は後続を突き放していき、残り200mで完全な一騎打ち。勢いづいたトウカイテイオーは1完歩ごとに差を詰めていき、残り100mで並び、交わしていく。ビワハヤヒデも懸命に交わそうと粘りましたが……順位は覆ることなく、トウカイテイオーは勝利を果たしました。

長期休養明けG1勝利の最長記録であり、奇跡の復活を遂げたトウカイテイオー。前代未聞となるドラマを目の当たりにした大観衆は惜しみなくテイオーコールを贈りました。

数多くの奇跡が起きた世代

第1次競馬ブームを起こしたハイセイコーや第3次競馬ブームを起こしたディープインパクトなど、19世紀からは始まる150余年の競馬史の中で多くの偉業や名馬の活躍はありましたが、「世紀の対決」と呼ばれたのはトウカイテイオーとメジロマックイーンの対決ただひとつだけです。

それはトウカイテイオーとメジロマックイーンが偉大なアイドルホースだったということも要因のひとつですが、オグリキャップやアイネスフウジンなどの名馬たちが引き起こした数々の奇跡が結実した瞬間だったことが、何よりの要因でしょう。

これ以降の時代でも多くの名馬、名勝負、偉業が生まれていきますが、1990年から1993年かけて形作られた基礎があってこそだということは忘れてはなりません。

 

「メジロマックイーン、父子三代制覇。絶対の強さは、時に人を退屈させる」
――2011年天皇賞(春)CM

「七冠の父のプレッシャーに勝ったトウカイテイオー。天才はいる。悔しいが」
――2011年日本ダービーCM

次世代ウマ娘の史実

1994~1995世代「日本を震わす衝撃」

主要ウマ娘
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1994~1995世代の史実紹介(準備中)

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